このひと月の間、壁を壊したり、壁を作ったりしていました。
あたらしい土-tsuchi-は多くの人のとの出会いから繋がってきた場所と土と家。
古民家というには新しい築40年の中古住宅を夏の終わり頃に紹介いただいて、拠点をこの地に決め、
秋からDIYで工事を進めているのです。
農地も含んでいたので(かなり広いです)大家さんとの契約書の作成だけでは売買は成立しません。
農地は許可なく売買はできないという法律があるというのを今回初めて知りました。その許可をするのが市町村の農業委員会だということで、地域によってはその許可をもらうのがかなり困難な場合があるそうです。
町農業委員会への農地譲渡の申請が必要で、申請には土地の写真を取ること、役場が出している農地の図面、一般の地図の図面、農地を使うにあたっての計画書などを書きました。
移住者の場合の家の購入や改修には町からの補助金が申請できるのですが、このための申請書作成もかなり複雑で、契約を取り交わす前に出す書類、契約書と領収書と住民票と申請書、農業委員会からの許可をもらってからの登記謄本の提出などなど、思い出せないぐらいの手順がありました。複雑ですので、役場にはなんども足を運ぶことが必要になります。
また、近所の農業委員会のメンバーの方が、この家を購入することをはじめ、書類の作成などいろいろな助言をもらいました。この人がいなければ簡単には進まなかったことがたくさんあります。そんな「この人がいなければ」という方が他にもたくさんいて、いろいろな縁でここに移り住むことができています。
40年の家は、壁は土壁、そして内装に一部石膏ボードが使われていました。
土壁は壊しやすく、そして壊しても自然に帰っていきます。
吸湿性があり、耐熱であり、蔵のように厚くすれば断熱や蓄熱にもなります。
土壁は作っていく工程が長くかかるため、また職人さんも減ってきていて、最近は作られなくなっているようです。
この家の場合、土壁に8mmほどのモルタルが塗ってあり、その上から砂壁になっていました。
モルタルを剥がすと土があり、土は竹の編んだものを心材にして藁と一緒に練り込まれていました。
新建材だと石膏ボードなどになるでしょうけれども、すぐに土に帰る、というわけにはいかず、少し手間がかかります。
剥がすときもたくさんの釘かビスがあり、それを支える木材にも釘がたくさん使われているので、手間がかかります。
新しい壁を土壁にしたかったのですが、トイレ周りは日程の都合上、今回は合板、下地材、珪藻土の塗り壁にしています。
家の壁もそうですが、人生にも目の前に壁が出てくるときがあります。
そんな壁を壊すことも時には必要になるかと思います。
いつもは壁を壊すなんてことは考えもつかないかもしれないけれど、
家族の構成が変わったときとか、
仕事が変わったときとか、
どうしてもこれは困ったな、というときとか、
ずっとおかしいな、と感じてきたことに気づいたときとか、
いろんなことで壁を越えないといけない。
そんなときは壁を壊すことを考えてみるのも一つの手だと思います。
思いついたはいいけれども、
本当にこの壁を壊してもいいのだろうか?
と考えることもあります。
不安だから、止めておこうか。
壁を壊すのはその直前まで不安かもしれません。
でもやっぱり必要ではない壁もあります。
そんなときは思い切って壊してみる。
どーん。
最初の一撃が衝撃的です。
そのあとはメリメリとかバサバサとか、音もホコリもすごい。
壊し始めると、簡単なときがあり、
思ったよりも手強いときもあります。
あ、しまった、ということもおきます。
そんな時は立ち止まったりします。
でも失敗だということは何一つないのだ、と気づくことがあります。
だから、壊す勇気を持ってみること。
慌てずにいれば、頭がクリアになって、目が澄んでくる。
このクリアになった目で見定めることで、
きれいに壊すことが可能になるのだと思います。
壊すことは無心で、何も考えないようでいて、
勉強できることがたくさんできます。
壁の奥には知らなかったことが隠れていたりして、
見た目とは違って複雑な構造だとか、
作った人はこんなことを考えて作ったんだろうな、なんてことが分かる。
その壁を自分が作ったのだとしたら、自分自身がよく分かる。
壊すことで学ぶことがあり、そのことで物事や知識を得る、
そして壊してしまえば、こころが明るくなります。
壊せばそれで終わり、
ではありません。
壊した後は必ず想像があり、創造がおきます。
また新たに壁を作り始めるのです。
人生における壁とは限界や制限のことですよね。
自分で限界を作るといえばなんだかマイナスのイメージかもしれません。
まさか自分でしばりや限界、制限を作るよりも、自由でいることを求めそうなものなのですが、
この壁とは新たなルール、新しい生き方と言えばいいでしょうか。
今までとは違った自分のテーマや乗り越えようという成長のステップとなります。
新たな限界でもあり壁ですが、それがあるために成長があるのです。
ヴェーダーンタの話につなげるとすれば、
私たちの本質である「限りのない自由」=アートマーを知るためには、
体やこころ、この世界という限界ツールを使うことによって、
それを乗り越える作業を続けることで、
私たちの本質に少しでも近づくことができる。
それが成長ということなのかもしれません。